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実は、同じ訳者の、河出文庫版の「フィネガンズ・ウェイク」を、未読本の整理中に発見したのだが、良く見ると1巻目の中程に付箋が貼ってあり、「バカヤロー!」とひとこと書いてあった…この柳瀬という人は、あんまり、“まじめ”に過ぎないか。ジョイスの、重層的な意味を持つ言葉(多分…原書を“見た”ことがないから、本当のところはわからない)を、出来うる限り日本語(?)に訳そうとし過ぎていないか。 しかし、この新訳本は(最近、光文社で一発当たったから、各文庫で古典の新訳が始まっている…良いことだ)アレの印象を覆して、まともな短編集である。アレに辟易した向きにも、一読をお勧めする。 まず、改題が成功している。私(夷洲斎)などは、この題名で手にしたようなものだが、考えてみれば、「ダブリン市民」という旧題の方がおかしい、と訳者自身の解説でもわかった。《ニュー・ヨーカー》をニュー・ヨーク市民、とは訳さないだろうってことだ。ニュー・ヨークの人々、でもニュアンスがおかしい。敢えて訳すなら、《ダブリンっ子》というところか…でも、最近はそういう言い方も馴染が薄くなっている感じだ。《パリジャン》をパリっ子という言い方もしなくなっているしな。 「ダブリナーズ」…何だかサッカーチームの名前みたいな印象はあるが。 さて、中身を読んでみると、ジョイスは、自分の故郷であるこの街が、あまり好きではないのではないか、という気がした。嫌っているのだが、無視したり、忘れたりすることが不可能な宿命的な存在。ひとつひとつの短編の登場人物たちに対しても、そういう視点から離れることはない。少なくとも、ひとりひとりが特別正しいわけでも、悪いわけでもない。変な言い方だが、極限まで“普通”なのだ。モーパッサンのパリジャンやパリジェンヌよりも、だ。 ジョイス、という作家の前評判からすれば、かなり肩透かしを食うことは間違いない。 しかし、それも、一つ一つの短編を、別個に読んでいる間だけである。 それが、すべて読み終わった後にあるひとつの“模様”が浮かびあがる。 その“模様”の名は、《死》だ。 最初の短編、「姉妹」からして、《死》が主題である。最後がまさに「死せるものたち」(原題は“The Dead”)。…途中の、一見笑話の如き内容の短編ですら、良く読めば《死》の影は覆っている。 その《死》も、物語的な、劇的な、崇高さや美に彩られた“大きな”《死》ではない。言って見れば、“日常的な”“普通の”“誰でもが経験し得る”“あたりまえの”《死》である。 《ダブリナーズ》の、それらの非・劇的な死によって、《ダブリン》という市が、無名の《死》の、無意味な墓碑銘に見えてくる。という仕掛けを感じたのである。 細かい、卑俗な、市井の、細々としたことがらが、《無意味》から《死》へと溶けていく。 カバーに書かれている、「恋心と性欲の芽生える少年」(ちなみに、この「出会い」と、「痛ましい事故」という二つが、夷洲斎が好きな1、2を争う)も、「酒びたりの父親」も、「下宿のやり手女将」も、ジョイスの《言葉》の中に、《意味》の極限としての《無意味》…つまり、《人生》の極限としての《死》に、溶けて/解けて逝くのである。 少なくとも、少年の頃に旧訳で感じた退屈さだけは、感じずに済んだ。 そう気負うことなく、さらっと読むのが、一番いいのかもしれない。 ダブリナーズ (新潮文庫) 新潮社 ジェイムズ ジョイス ユーザレビュー: 訳は知らないこちらの ... ダブリンの退嬰的世相 ... 画期的新訳 文学部 ...Amazonアソシエイト by ウェブリブログ |
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「ダブリナーズ」
玄関ホールにじっと立ち、その声の歌う旋律を聞き取ろうとしながら、妻を見上げる。そ ...続きを見る |
COCO2のバスタイム読書 2009/07/19 17:29 |
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