酷暑の、酷暑に、酷暑では

 内陸部に較べればまだマシなのだろうが、暑さがこんなに長い間続くとさすがに堪える。
 オリンピックも、こう暑いと観ていて暑苦しいカンジさえしてくる。(ロンドンはかなり気温が低いみたいだけどな)
『流刑』 パヴェーゼ 河島英昭=訳 岩波文庫
 流刑という刑罰が、1930年代のイタリアにあったというのがちょっと驚きだが、ニュアンスとしては追放刑に近い感じがする。「イタリア」という国が近代国家として統一を果たしてから、それほど経っていないことを考慮にいれても、牢に繋がれるわけでもなく、緩い監視のもとに流された村を自由に歩き回る様子は、日本人の目にはちょっと奇異に映る。
 前に「祭の夜」を読んだ時から懸案だったこの処女長篇、ちょっと見には実録というか、ドキュメンタリー(タッチ)の自伝「的」小説、に思える(特に、カバー折り返しの紹介文などを読めば)
 読み出すと、その予想は裏切られる。
「習作」の未発表短篇群に較べると、この長篇はずっと「詩」に近いカンジがする。
 いわゆる小説的な「出来事」は何も起こらないが、酒場で昼間からクダを巻く村人たちとのユルい交流、住居として指定された小屋の寒々しさ。女たち。
 それらが、主人公(パヴェーゼ自身)の、故郷とも、ブンガクとも、恋人とも遠く離された政治犯の(解説を読むと、少なくとも本人は冤罪だと思っていたようだが)孤独を主旋律にして印象的に並べられているのである。
 そう、それらの「印象」は有機的に関係付けられて配置されているわけではなく、漫然と並べられている(ように見える)。それが、この長篇小説を詩に近づける要因にもなっている。
 主人公にとって、この「流刑」という刑罰の意味は、倦怠、つまり退屈さが永遠とも思えるほど続き、何時終わるかわからないことだ。
「滞在中」に村でおきる小さな出来事や、村の住人たちの人間関係(表も、隠されたのも)、それに村の女との関係について一応考えてはいるものの、この受刑者の心はそこにはない。だから、「物語」になりそうでならない。
 そんな不安なカンジをうけてしまうのである。
 そして、その「小説」としてどこか上の空であるということ、そのことがこの「小説」のいわば隠された仕掛け(の一つ)であると気付くまでは、読者はただ主人公とともに退屈してしまうだけだ。
 周囲の(トリノ出身の主人公にしてみれば〈異国〉とさえ言える南イタリアの田舎の村)「物語」に、主人公が本当の意味で入っていけない。
 で、あればこそ、主人公の孤独と不安感が、陽光溢れるイオニア海の美しい風景が眼前に広がるほどにクッキリと際立つ。
 読み終えた後、どんな村人がいてどんな事件が起こったかなど殆ど印象に残らないが、孤独と焦燥、不安などの主人公の心理状態は思い出せるだろう。
 これはそういう「小説」なのである。
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