「大川周明」大塚健洋 中公新書

〈ある復古革新主義者の思想〉

 何と言っても、思い出されるのは東京裁判で東条英機のハゲ頭を後ろからペチペチやった姿である。
 一時は盟友だった北一輝と比べると、評伝もそう数があるわけじゃないし、大雑把に言って、「戦前の右翼」という人物像しか持って居なかったわけだ。
 それにしても、中高生=社会主義者、大学時代=宗教学者、そして革新右翼という、北一輝とあまりにも似た変遷を辿っている。明治末大正昭和初期の思想変遷の、これも「類型」なのか、どうか。それに、「天皇の下に」すべては平等である(べきだ)、という右翼振りも似通っている。
 「日本の精神文化」の普遍化(あるいは流行の言葉でグローバル化)、大東亜共栄圏構想の理論的構築といった点が、大川が東京裁判に掛けられそうになった理由だろうが、そのあまりにも形而上的(道学的)な理論構築が、ダイレクトに戦争犯罪、思想犯とさえ呼べるのかどうか。学者として評価できるとすれば、日本史をある程度冷静に観ている事、中国やインドの文化から影響を与えられていることを否定しないことくらいか。
 インド独立運動との関りも、だから首尾は一貫している。戦争に「勝った」からといって、大英帝国がアジア各地で犯してきた悪行が晴れたわけでもないし、第一次大戦後の広い意味でのアジアの状況は、むしろ道義はこういう日本の思想家の側にあったのだと思う。ただ、学者・思想家というのが「政治的に」あまりにもあどけなく、「正しいこと」は良いことだ、というドグマに冒されているだけだ。
 結局のところ、「人間」も「日本人」も、「天皇」ですら、彼らが夢想するような存在では「無い」。
 ヒトは、いくら「論理的」であろうと努めても、「見たいものしか見ない」生物であるようだ。

 著者は大川周明の私生活にはあまり触れず(例の佯狂疑惑についても、あっさりと否定するだけだ)、思想と行動にのみ拠って評伝を展開している。
 その大川の構築しようとした「モノ」は、今の日本にはどこにも無い。それだけは間違いの無い事実である。
大川周明―ある復古革新主義者の思想 (中公新書)
中央公論社
大塚 健洋

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