孤独なモノは孤独を喰らう

『安土往還記』 辻 邦生 新潮文庫
 歴史に題材をとったからといって、それがすべて〈歴史小説〉とは限らない。
 本書を読んでその思いを強くする。
 題名から予想できるように、コレは織田信長とその時代を描いた小説ではあるが…〈歴史小説〉と呼べるかどうか。
「手記だ、当然のことながら」
『薔薇の名前』でエーコが冒頭、揶揄ともアキラメともつかぬ感じで書いているように、ここでも、偶然発見された手記(の翻訳)という体裁が採られている。この仕掛け自体が、すでに歴史小説ではない(司馬遼太郎の書くような)ことを示している。歴史的整合性など、この、ホームズ贋作の十八番である手法によって、すでに眼中にないことが読者に知らされる。
 たった今、ホームズと書いてしまったのは、故の無いことではない。
 信長=ホームズ、語り手(ジェノアの住民だった、らしい)=ワトスンという図式が、終始思い浮かぶ小説だったからだ。(語り手が、キューバでの戦争を経験した後、日本にやってくるという経緯といい…)
 語り手の目でみた、人物…偉大だったり、極悪だったり、カリスマだったりする人物…の言行録。
 普通、語り手の目は、作者の目である。それが、16世紀のヨーロッパ人、しかも宗教とは無縁の人間の目であるところが、辻邦生という作家らしさというものなのだろう。
 ソレと同時に、登場する戦国時代の日本人たちよりは、このヨーロッパ人の方が、現在のわれわれには理解し易い人種に感じるという、そのコト自体が問題となるのかもしれない。
 この捩れたカルチャー・ギャップは、実に色々なことを考えさせてくれる。

 ここで描かれる〈織田信長〉の、絶対的なまでの孤独は、ちょっと空恐ろしいほどである。
 小説の主題としては、ソレ、ただその〈孤独〉なのだということである。
 権力者の孤独であると共に、先覚者の孤独である。己一個の内部にある、まったく新しい秩序体系を、同じ言語を話す同胞には、ほんのかすかにも伝わらないという、その孤独。
 実在の信長がそうだというわけではない。そういう意味では、この人物造形はホームズなみの実在らしさしかない。しかし、この騙り(いい意味で)の中には、真実の欠片くらいはある。そんな気がする。

 小説というのは、実は そういうモノではないか。
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安土往還記 (新潮文庫)
新潮社
辻 邦生

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