叙事詩と鎮魂

『平家物語の読み方』 兵藤裕己 ちくま学芸文庫
 来年の大河ドラマが、「平清盛」であることと、この本の出版のタイミングはたぶん無関係ではない……
 学校で(ごくザックリとではあるが)習うし、出来るだけ資料に則って“史実どおりに”書かれた歴史小説もあることだし、現代の日本人にある程度の「歴史感覚」が身に付いていると考えても無理はないのだろう、とは思う。
 でも、それは真実に公平な視点だろうか。
 歴史的な公平さなどは、「歴史を持つ」つまり「文明化された」国なり民族なりの社会集団に属した者にはハナから無理なのである。
 実のところ、本邦の「歴史意識」は、近世に一定の決着をみてしまってから、少しの変化も無いのではないか、という気がしている。これは、所謂「歴史学」とは何の関係もない。あくまで、庶民、一般大衆、そういう「無名」の存在の“意識”の層でのハナシだ。
 この「日本人の歴史意識」の中でも、最大の特殊性は、「滅び逝くものへの同情・または共感」である。「平家物語」から「忠臣蔵」まで、日本人の「英雄叙事詩」には、結局は主人公(英雄)たちの滅びによって終わるという共通の特性がある。
 その“原因”の一端が、琵琶という楽器の伴奏で語られ(謡われ)た「平家物語」にあるというのは決して間違いないと直感する。
 謡われるモノガタリが、その一回性と「現前性」(肉体性という表現も、ある程度近いか?)で聴く者の「心性」に直接、むしろ“呪”として働きかけるというのは、こんなに文明化された環境にあるわたしたちにも、少なくとも生涯に数度は感じる事柄ではないか。
「諸行無常」とか、「盛者必衰」(「生者必衰」でも同じだが)という“感覚”、まさにコトバで説明し難い“感覚”が、われわれ「日本人」には根付いていないか。
 もっとも、それはむしろ、その「英雄の滅び」を見聞きして、何らかのカタルシスを得ているからであり、そのカタルシスに仏教的解釈を施して言い訳をしているコトでもあるのだが。
 王権への(何らかのカタチでの)挑戦者の「悪行」と、その滅びに何らかのカタルシスを感じ、それを感じることへの後ろめたさこそが、日本人の秩序意識の形成を促している、とも言えるわけだ。
 そして、その歴史感覚の無意識の基底が、文字にかかれた物語ではなく、音曲にあわせてカタられるモノ語りにあるという、いわば鎮魂の呪文(スペル)化の裏歴史……靖国神社の戦後「受容」などとも通低する、ある種の「日本の文化モデル」を考える(それをまさに「受容」するにしろ「超克」するにしろ)避けて通れない問題意識を感じることが出来た。
平家物語の読み方 (ちくま学芸文庫)
筑摩書房
兵藤 裕己

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