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夷洲斎日乗  天才読者の読書日記

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年に400冊ほど本を読むが、
徒然にそうした本の感想を書き綴ってみたい。
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「迷路の花嫁」横溝正史 角川文庫

2009/11/22 22:25
 古本屋でつい買ってしまった文庫本シリーズ。

 これにも金田一耕助が登場するが、ほぼ中盤からで、しかも、殆ど何もしない。
 実は、この、金田一が何もしない、ということが、このミステリーの仕掛けの一つなのである。
 ネタバレ厳禁な方針だから、これ以上の言及は避けるが。

 主人公は、最初の事件の目撃者となった作家なのだが、この作家が、次第に謎の人物に変貌していく様子が、いつものヨコミゾ調で淡々と書かれていく。
 悪い人物ではないのだが、謎めいた男、行動力や知力に優れたキャラクターが、「女王蜂」とか「三つ首塔」なんかにも出て来る。一種、冒険談じみたハナシになる、こうしたキャラが、横溝正史の好みなのかもしれないと思ってみたりする。
 対する悪役がまた、新興宗教の教祖、セックスで女を縛り、搾り取るという、ラスプーチンじみた人物だ。これも、実は横溝得意の悪役キャラである。

 この御馴染の両キャラクターの間には、もちろん薄幸の美女が挟まるわけである。
 …いつもの波乱万丈の痛快活劇、だと思わせておいて…
 いや、少しばかり感心する。この結末は、いわば横溝自身のいつもの配置と「思わせておいて」、そこを一段ひっくり返しているのである。そういう意味では、かなりメタな著述トリックと言えないこともない。
 横溝作品に、より深く親しんでいる読者にこそ効くワザでもある。

 やはり、横溝正史がもっとも私淑していたのは、アガサ・クリスティーなのだと感じる。
 いつもの人物配置、いつもの殺人事件と「思わせておいて」、というのが、」アガサおばさんには多いからだ。
 自分のマンネリ化を逆手に取った、まさに著述トリックである。(例のアレは、その最たるモノだろう)
 ミステリーだからこそ、これも許されるのだろうけれども。
迷路の花嫁 (角川文庫 緑 304-41)
角川書店
横溝 正史

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「人造記」東郷 隆 文春文庫

2009/11/20 21:27
 たまには書店や古書店、図書館に直接行かないと、こういう本に出遭えることも無いわけである。
 基本的に、本の情報は書店で得るのが、少年の頃からの習慣になっている。特に、駅前の普通の書店で、ほんの数ヶ月前に刊行された本が見つからない状況であれば、勢い、古書店に時々行くのは大事になってくる。
 それが出た時には気付かなかったり、縁が無くて読み残した本が、ひっそりと待っていることがあるからだ。

 この「人造記」は、古本屋で買った初見の作家の本としては、久々のヒットだった。
 西行が何やら呪法をもって死人を生き返らせようとした、というエピソードは、どうもかなり有名なハナシのようだが、ここまで直接的に小説として書かれたモノがあったとは。結末も、なかなか良い。なんというか、こうした〈外法〉を介して、日本的な仏道の寂滅というか、「執着」と「虚無」の間で揺れ動く感情とでもいうかそんなところにも一段迫っている気がする。もちろん、そうした諸々の〈核心〉を鋭く突いたりはしない。それは、日本の文芸の良き伝統である。
 しかし、この作家は、何というか独特の〈飄逸〉さがある。表題作以外にも、「放屁権介」は巧い。これこそ、虚実の境目がわからなくなる巧い〈歴史小説〉の見本にしたいくらいだ。
 そして、どれもが「歴史」の本流から少しずつずれた、非常に特殊な時空間の設定の仕方をしている、という点が、素晴しい。
 どういうことかというと、「水阿弥陀仏」は室町時代の九代将軍、「上海魚水石」は、昭和はじめ頃の上海、「放屁権介」は、時代こそ幕末だが、場所は大坂である。「蟻通し」は、南方熊楠が神社と森を守ろうとして坊ちゃんぽい騒動をおこすのだが、そこに幻術という要素が加えられるという異色作だ。
 この〔少し〕ずれる、そのずれ方がいい。
 幸田露伴のように、冒頭、枕として一種の「薀蓄」が配置されるというその書き方も、内容ととても良く合っている。
 直接、高所から高説をのたまる、あるいは伝えたいことを直接伝えようとする、ことへの「恥じらい」というか、「照れ」が、ニッポンの文芸的伝統というものなのである。それが、〔飄逸味〕を醸し出している。
 主人公たちがみな、本道(正業、まっとうなヒトという意味)から少しずつずれた、ダメな人物であるのも良い。
 しかし、別にふざけ散らしたという感じもない。そのバランスが、とても気に入った。

 ちょっとばかり、いつもより褒め過ぎたかもしれないが、読んでみなければこれはわからないだろう。
 歴史幻想小説、という言葉に興味があるのなら、一読をお勧めする。
人造記 (文春文庫)
文藝春秋
東郷 隆

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「オホーツクの古代史」菊池俊彦 平凡社新書

2009/11/18 20:42
「東北学」のレヴューでも言ったが、古代日本に流入した文化というのは、本当にすべて西から、なのだろうか。
 北海道出身者としては、違った〔感触〕があるという、個人的な思いとは別に、それを例証する何かがないだろうか、といつも思い続けていた。
 オホーツク文化、という言葉自体、あまり馴染みのあるものではないだろう。実際、言葉自体は知っていても、それが考古学的な意味しか持っていないという、一種の思い込みが激しくあった。

 最初に、唐の時代、『流鬼国』の使者が、はるばる長安を訪れたことが一度だけあった、という「歴史学」的な問題提起がなされる。魏志倭人伝よりも少ない手掛かりから、その『流鬼』が何処にあったのか、どんな民族だったのか突き止めることはほぼ不可能だ。邪馬台国の場合と同じで、その所在地について、カムチャッカ半島説、サハリン(樺太)説、その民族の正体に付いては、ツングース系、ギリヤーク系、アイヌ説など、諸説入り乱れる。
 我々の意識から何故かスッポリ抜け落ちている、環オホーツク圏で、そんな熱い議論がなされているというのが、まずもって新しい知識である。
 シベリアから、アラスカにかけての民族的状況。そこにも、一定の政治的状況…日中露の近代史…が絡んでくるという〔気配〕を感じた。それまで、『流鬼』=カムチャツカ半島説が、ロシアでは主流だったのに、日本では日露戦争に勝ち、樺太が日本の領土になった直後、『流鬼』=サハリン説が出るところなど、無意識の政治的意図を感じたとしても不思議ではあるまい。中国の学者がこの問題を提起したのだって、アムール川流域の主権を主張する為であったとも言えるのである。
 その近代の『国境』が、少なくとも意識的な障壁になって、その部分が何となく断絶していると思えてしまうのだ。本来は、狭い海峡や、島伝いに行き来できる範囲内であり、我々が思っているよりも、相互に盛んに交流(物品の交換を含む)していたらしい、というのが、考古学的成果から示される。土器や装飾品は、その場所にあったからといって、その場所で作られたモノだとはいえない訳だ。

 著者は、結局『流鬼』はサハリンにあったと結論付けるが、その問題もさておいて、まず、バイカル湖からベーリング海峡に到る広大な領域で、様々な言語や習慣を持つ民族が、相互に影響を与え会い、ヒトやモノ、食習慣などを変化させながら大きな流れをつくっていた、ということ、それと、少なくとも北海道地方が無縁ではない、ということ。そうした北方民族的な文化(民俗)が、北海道経由で東北まで伝わらなかった、とは誰にも言えない、ということ…もう少しで、その問題について、決定的な書物が読めるかもしれないということ、が期待された。いや、期待することにしたい。
オホーツクの古代史 (平凡社新書)
平凡社
菊池 俊彦

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「新版 河童駒引考」石田栄一郎 岩波文庫  

2009/11/16 22:32
〈比較民族学的研究〉

 河童は、おそらく、日本で一番高名な妖怪である。
 しかし、その〈正体〉は、その余りに高名なためか、諸説入り乱れて判然としない。〈正体〉といっても、深い意味でなく、いわば妖怪分類学的に見ても、良くわからないのである。

 この本は、もう10年以前、買いそびれていたものの重版だ。
 こんな本が、文庫で、1,000円以内で買える国であるうちは、おそらくまだ大丈夫だろう。色々あっても。
 実際、戦時中に出せなかった経緯のある本だけに、そういう感慨がどうしても浮かんでしまう。

「馬と水神」「牛と水神」「猿と水神」の三章からなるこの本の中で、驚くべきことに、西はアイルランドから、東は日本の岩手県まで、読者の視線はユーラシア大陸を横断することになる。時間も、先史時代から現代まで、遥かに流れる。ダイナミックではあるが、その内容は詳細、かつ緻密で、知的興味というものを満足させるには十分な筆力で書かれている。
 河童が馬を水中に引き込もうとして失敗し、侘び証文を取られる、という伝承から、馬と水神の関係…水辺で放牧するという習俗の意味、竜と馬の親密な文化的関係性、等々、最初から興奮させられる。
 しかも、そこから、牛と水神の関係に入ると、事は北・太陽・天・男性原理・馬という観念連合と、南・月・土(大地)・女性原理・牛という二項の文化的対立と融合にまで及ぶ。ここは、かなり興味深い。遊牧、すなわち馬の文化が、北方から南の農耕文化を侵食し、ついに融合する過程までの話は、文明論として読んでも面白いのである。
 河童が、ついにギリシャ神話のポセイドンにまで関連付けられる(ポセイドンは、牛頭の神即ちミノタウロスの後裔で、しかも馬の神という性格を併せ持つ)に至っては、上質の推理小説を髣髴させる論理展開である。

「猿と水神」には、諸星大二郎の「西遊妖猿伝」の要素、水神〈無支祁〉とか、次郎神君の縛鎖とかが出て来る。猿と馬の関連で言えば、当然弼馬温についても触れている。最初に出版された年代を考えると、諸星や中野美代子の発想の根源になっているのは(つまり元ネタは)、あるいはこの本かもしれない。

 昔、読まなかったことを後悔する本だ。逆に言えば、今読むための長い放置プレーだったとも考えられるが。

追記 このブログでは、民俗学(民族学ではなく)に分類しておく。柳田国男に捧げられた本でもあるし。大体、その辺の学問の〔分類〕というのは、一読者としてはあまり厳密に考えなくても良い気がするからだ。

河童駒引考―比較民族学的研究 (岩波文庫)
岩波書店
石田 英一郎

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「デイン家の呪い〔新訳版〕」ダシール・ハメット 小鷹信光=訳 ハヤカワ・ミステリ文庫

2009/11/14 21:48
 新訳、といったところで、ココまで来ると旧訳版を読んだことがあるという方が珍しいだろう。もちろん、私も初見だ。
 まさに、〈珍品〉である。
 ハメットは、ハードボイルドの創始者であると、ほとんどすべての人が思っているだろうが、そのハードボイルドというやつ、最初から完成していたわけではないようだ。
 このハードボイルド、その正体がどうにも掴めない。書いた本人がそう思ってなければ、どうもそうではない、といった種類のモノらしい。ということは、実はハメットはハードボイルド派ではないという結論になる。
 この本では、めまぐるしく三つの事件が続けて起こる。最初の二つ目まで、それなりの(グズグズ感は免れないが)決着がつく、独立した事件のように見える。
 科学者の家でダイヤモンドが盗まれ、保険会社の依頼で、コンチネンタル社からオプが派遣される。この、最初の事件から、もう事態は混沌としている。コンラッドの時にも書いたが、〈現実〉というものに即してしまえば(あるいは即そうと志せば)、小説はたちまち混沌に支配される。しかし、コンラッドと違って、ハメットはソコ(つまり〈現実〉、リアリティ)から微妙にズレていく。
 そのずれ方が、かなり時代掛かっていることに、みな何故気付かないのか。「血の収穫」は、ドイルの「恐怖の谷」のリメイク版だし、「マルタの鷹」は、何とテンプル騎士団の隠し財宝が堂々とストーリーの中核である。
 簡単に言えば、かなり伝奇小説っぽいのである。
 そういう目で見ると、この「デイン家の呪い」は、家系の呪いに悩む薄幸の美少女、という、ゴシックロマンそのままの骨格に、野卑な俗語(その度に違う黒人の差別語を使う刑事が出て来る)、〈探偵〉と〈警察〉の馴れ合いの関係(オプは、一度も容疑者にならない。のちのハードボイルドからすると、有り得ないことである)、等々の、ハードボイルドというよりはノワール系の皮膚を貼り付けたジェットコースター風のストーリーなのである。
「六死人」の項で書いた。ストーリー展開が、(当時の)映画、それも連続活劇に影響を受けているのではないか、と。それは、ここでも当てはまる。少しハナシがダレて来ると、必ず何事か起こる。それも、インチキ新興宗教の本部でゴーストハンターよろしく幽霊と格闘、とか、爆殺とか、派手なこと極まりない。

 だが、まあ、バラバラに見えた事件が、最後に一つにまとまり、そこそこ意外な犯人が指摘されるという終盤は割と好きだ。事件がゴシック・ロマンの如き外見を呈する理由も、言及はされないが一応メタ的に納得できる。
〈ハードボイルド〉を期待して読まなければ、それなりに面白いサスペンスだ。
デイン家の呪い(新訳版)
早川書房
ダシール ハメット

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装幀待ちに待った「デ ...
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「最後から二番目の真実」フィリップ・K・ディック 佐藤龍雄=訳 創元SF文庫 

2009/11/12 23:43
これも、サンリオ文庫の新訳。
 ディックが何故にこれほどまで高い評価を受けているのか、それは1冊読んだだけではわからない。いつも、そう思う。
 この本を2年も寝かせていたのは、もちろん旧訳で読んでいたからで、あの頃、年に3、4冊はディックを(初めて)読めた日々は、今思うと忘れ難い記憶である。
「最後から二番目の真実」という題名が、まず非常に興味をそそる。Penultimateという英単語が、どれだけ使われる頻度が高いのか、私には知りようもないが、おそらく、そんなに日常で使われる単語ではないと思う。そういう、特別な〔語感〕の言葉、時には造語を多用するところが、ディックという作家の一つの特徴なのである。
 この本の中でも、たった一度しか使われない固有名詞、何かのブランド名、武器や機械の名前、が溢れんばかりに詰め込まれている。〔その世界(のみ)〕で使われている特別な言葉遣いで、その世界そのものを表現する。
 翻訳では、そこのところが難しいのではないかと、脇から思うくらいだ。かつて、「ザップガン」を原書で読もうとして諦めた身としては、割に実感を伴ってそう思う。

 この小説は、実はポリティカル・サスペンスとでもいう内容だ。第三次世界大戦後の世界を描いたSFである。東西冷戦のまっただ中、1960年代に書かれた、ということが、何がしかの影響を与えないわけがないが、思えば、ディックはあの閉塞感を、かなり過敏に感じていたらしい。
 人類の大半は、〈地下塔〉と呼ばれる巨大シェルターに入り、〈要員〉(レッデイ)という戦闘アンドロイドを製造・修理している。ノルマを果たさないと、段階的に食料供給を止められたりする。〈地上〉の状況(つまり戦争の帰趨)は、TVの映像のみで伝えられる。
 この、TVの映像が、まやかしであるということは、次の章で早くも明かされる。地上では10年以上前に戦争は終結していて、東西は共に、地下にいる者たちを地上に出さないように、偽の映像を流している。
 実は、大衆こそが戦争の唯一の〔原因〕だという、あの時代に書かれたにしては実にシニカルな設定だ。
 いつものディック、被害妄想の一歩手前の世界認識と、騙すものも騙されるものも、体の芯が疲れ果てているような、気だるい雰囲気が思う存分味わえるだろう。ストーリーはやや破綻していて、いつもの、浪花節に近いウェットな(そこのところが、実は私は好きな部分なのだが)感情は抑え気味だが。
 過去に遡っての陰謀、シミュラクラによる大衆操作、ひとつひとつは面白いのだが、詰め込みすぎの感は免れない。いわば、究極にどがちゃかして、とっちらかった印象が残る。

 まあ、いつもの(新訳でも)、ディックはディックだった、ということだ。
最後から二番目の真実 (創元SF文庫)
東京創元社
フィリップ・K. ディック

ユーザレビュー:
P・K・ディック、異 ...
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「スケッチで楽しむ東京の坂道散歩」中島健一郎 新人物文庫

2009/11/11 19:25
 何しろ、200も坂が出て来るのである。
 そのせいか、一つ一つの坂に付いて、本当に簡単な「説明」があるだけで、どうしても物足りなさを感じる。写真でなく、本人のスケッチというのは良いと思うが。(写真だと、どう撮っても、ビルとコンクリート舗装で殺伐とするから)

 読み始めてから気付いたのだが、私自身は坂の多い東京の山の手に住んだことがない。だから、思い出があるのは大学の周辺一帯、神楽坂付近だけである。前の「江戸東京怪談文学散歩」と違って、地縁という意味でも薄い。「○○散歩」という本は、紀行と違ってより日常に接したものだけに、読者にも地縁が求められるということが良くわかった。

 それにしても、〈幽霊坂〉という名が付いた坂が、これほど多いとは思わなかった。その中で、本当に幽霊が出る/出たとされる坂は、一つ二つしか無いということも。
 江戸や明治期の東京人は、そんなに〈幽霊〉が好きなのか、という気がする。何しろ、「出そう」というだけで〈幽霊坂〉と名づけるくらいなのだから。
 他にも、暗闇坂・三年坂(そこで転ぶと、三年以内に死ぬという坂。どうもこれは、全国中にあるみたいだが)甚だしいのは、〈赤字坂〉(その坂の途中に屋敷を持っていた相場師が破産した為に付けられた)なんぞという、ネガティブな命名が多い。ゴミ坂とか。
 思うに、ムカシは皆歩きだったわけだから、坂というものに良いイメージは無かったのだろう。そんな当たり前のことに、今では気付くことも出来なくなtっているということでもある。

 それはともかく、ミステリー好きにとって、東京の坂といえば〈D坂〉だろう。〈団子坂〉の項にその言及が無かったのは少し淋しい。
スケッチで楽しむ 東京の坂道散歩 (新人物文庫)
新人物往来社
中島 健一郎

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